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『若さは美しい。 でも、50歳の美しさよりは退屈なはず。』

このコトバと出会ったとき、脳が震えた。
(そして3度ほど読み返した!)

そして当時の私は、打ちのめされた。

50歳、、無敵! と。


言葉の主は分からない。
でも、このセリフが言える人って…
たぶん、すごい人!
いろんな意味で凄い人。


また、晩年のオードリー・ヘップバーンは
「確かに私の顔にシワも増えました。ただ、それは私が多くの愛を知ったということなのです。だから、私は今の私の顔の方が好きです」

アヌーク・エーメは
「人の本当の美しさは、その人が年をとってきて初めて感じられるものです」

と。

澄み渡る美しさをたたえた瞳で仰るこの言葉たちに
なんだか年を重ねるのは、スペシャルな事と思えてくる。


この年齢までのたゆまぬ生き方が窺い知れる
『真の美しさ』を持つ方の言葉に ただただ圧倒。


ラナンキュラス


そして今、私はその無敵の50歳となった。


その年齢に達した自身の50は…

なかなかのものである。


まず、今まで着ていた服たちが、なんとなく似合わなくなってくる。

全身鏡に映し出された己を
(現実を受け入れられず)気のせいではないかと、しばし眺めてみる。

そうね。
どうやら気のせいではなさそう。(確信)


ネイル、リップ、アイカラー
従来のカラーに違和感をおぼえ、

アンニュイ気取ってみても
疲労困憊のおばさんにしか見えず、


仕事では、聞きなれないビジネス用語との格闘
「アサップ」「オンスケ」「サマリー」、、、
頭は追いつかず、Googleさまに感謝する日々。

プライベートでは、「あれ」「それ」「これ」、
代名詞だけでなんとか成立させようとする会話。


この現象の理由はただ一つ


老いだ!!



なんてこった。


わたしの50代は成熟されたオトナの女性というよりは、ただの老いとの対峙だった。


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それは生きていれば、ごくごく自然の流れだけど、年をとると、気力だの体力だの美貌(そもそも問題!笑)だの、そういったものは確実に失っていく。

正直、まだびっくりするほどの体力低下の実感はないけど、(老いが原因かは分からないけど)なんだか体をよくぶつけるようにはなったし、そのぶつけて出来たアザはいつまでも残っているし、そのうち身に覚えのないアザまでできているし・・・・つまり何かに徐々に浸食されている感はある。

しかし、青アザぐらいでは生活に支障をきたすわけではないので、特に気にはならないが、
それよりも今一番深刻な悩みは『老眼』という悲しい現象。

これはちょっと厄介である。

いや、かなり厄介である。

老眼がこんなに不便なものだとは分かっていなかった。
老眼をなめてました。

老眼と共に、なぜか近眼も進む。(私だけ?)

もう、近くも遠くも見えやしない。
見えないって、ストレス。 ストレスマックス状態。


裸眼では
賞味期限が確認できない。
説明書が読めない。
カメラのピントが合っているかが分からない。
市販薬のラベルも読めない。

わたしゃ一体何錠飲むんだい?

気合で見えるのではないかと凝視してみたり
ラベルを近づけたり遠ざけたりしてみるが、、、ピントなんて永遠に合うはずもなく。

この文字たちが普通に見えていたあの頃の自分はもう異次元の世界の人。


仕事をしていても、夕方になると『5』『6』『8』の判別がつかなくなる。

困ったものだ。

人生50年時代から、100年時代と寿命は延びたが、視力の衰えは不変。

世が世なら、
きっと今頃 隠居生活でお昼寝中。
そこに必要以上の視力なんて要るはずもなく。


眉間のシワが日々深くなっていく現実。

悲しきかな、老眼の嘆き。


視力の衰えも100年時代仕様へ進化を願う。
そしたら、もう少し心穏やかに仕事を続けられる気がします。。。

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でも体型の変化は10代〜50代、常に変わり続けているから、そういうものだと比較的受け入れられる。
どの時代が良かった、とかではなく、どの時代もその容姿と生きていく、という思い。

ただ 若さや容姿だけではなく、もしその年代特有の『オーラ』というものがあるならば、それが放てる人でありたいと願う。

その年代だからこそ放てるオーラを。



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しかし50歳。
失ってばかりでもない。

得たモノというか、良い変化も多分にある。

感性や感受性の変化というものでしょうか。


必要以上の欲が要らなくなったこと、
物事をシンプルに考えられるようになったこと、
自分と異なる価値観や欠点を受け入れる容量が増えたこと、
自分のヘタレを愛嬌と思えるようにもなったりと。

あと、答えや結果を気長に待てるようにもなった。

いろんな事を受け入れられるようになった分、
自分の受け皿は広くなったのではないだろうか?


それから、いろんな事に気付けるようにもなったかもしれない。

誰かの小さな勇気、
誰かが、誰かのために起こす心優しい行動、
誰かの笑顔が、無条件に誰かを笑顔にする幸せの連鎖のこと。


雨上がりの空。

『元気してる?』の便り。

秋風にのってくるキンモクセイの香り。


自分を取り巻く世界が優しさと美しさで溢れていること。


一日の終わりを平穏な心で迎えられることが
どれだけ幸せなのかを。



年をとるって何かを失っていくだけではない。
逆に失って楽になることもあるかもしれない。
今の自分に必要なものだけが残っていく。



いろんなこだわりがなくなった分、
肩の力を抜いて生きられるようになったのかも。



あとは目じりのシワを愛おしく、そして老眼と闘う自分を滑稽だと笑えるようになったらこっちのもん!

上手くいかない事も多いけど
この50代、
そんなに悪くはないかも。

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フランスの女優、カトリーヌ・ドヌーヴが
『年を取ることに恐れはないわ』と言った

このセリフ、わたしが80歳になったら
ドヤ顔で言ってみたい。


ひ孫あたりにボケたって思われるかしら?



以上、本日は失ったモノ、得たモノを考えてみました。


『50代。80歳の目標を立てる。』


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KAGUNIWA
50