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流れゆく時間は目まぐるしい早さで状況を変化させ、
テクノロジーは日々進化し、多様な生き方は当たり前で
AIは次々と人間の仕事をこなし、
今や、指先一つで世界と繋がるSNS時代となった。

それはそれは、子どもの頃の自分(いや高校生の自分でも!)想像を絶する世界が目の前に広がっている。


このままいくと近い未来、人類は誰もが自由に大気圏を突破し、
宇宙人が友達になってしまう日がきてしまうのではなかろうか?


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ただし、こぞって大手企業が大量一括採用していたバブル景気に沸いた売り手市場時代も、
リクルートスーツに身を包み、何社、なん十社と足を棒にし会社説明会を回った時代も、
パソコン画面の向こう側、マスク姿の面接官と対峙した時代も
どんな時代を生きようが、変わらないものがある。


それは、入社してしまえば、 みな『新人類』と呼ばれ、
「今どきの子って」と先輩らに呆れられ
やることなすこと珍しがられることだ。

(平成初期入社時代の私ですら新人類だった!)

そしてお決まりの
「私たちの時代は〜」というお上司様のお小言。
心の中で(知らねー)と毒づいていた若かりし頃のワタクシ。
そんなワタクシ、今や「私たちの時代ってさ〜」と後輩に言っているではないか!

なんとも恐ろしい。。。


『時代は流れる』
ではなく
『時代は巡る』ですか、中島氏?


結局、老いも若きも、人間の本質というか、根本はそうは変わらないのではないかと思えてしまう。




・・・


そうです!
そうなんです!
実際、そう思える(千年以上も前に書かれた)書物が存在するのです!



(注:ここからが本題です。ここまでは回りくどい前置きです。汗)



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それは、義務教育お馴染みの
『清少納言と紫式部』(キラキラ)


(歴史はちょっと…ってなアナタ。逃げないで〜。古典文学は決して苦痛ではないのよ。ほんと。

どうか、しばしお付き合いを。。。。

というか、むしろ、そこにあまり興味なかった方に読んでほしい!
かく言う私も学生時代、歴史はノーサンキュー人種。
歴史を得意とする男子とは一生縁がないと思っていた。

竜馬も信長も義経だって、オトナになって司馬遼太郎氏のお陰でやっと興味をもつように。

なので今回はあくまでも私の浅い知識の範囲でのお話です。ゆるしてね。)


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(時を戻そう!)
頃は平安中期。
男子は烏帽子(えぼし)をかぶり、女性は十二単(じゅうにひとえ)を着る
ひな人形のお内裏様とお雛様の世界。



この時代の面白さは大きく分けて3つ。

まず一つ目。
時の権力争いに巻き込まれ翻弄された一条天皇の二人の后(きさき)の物語。
定子(天皇にめちゃくちゃ惚れられた才色兼備な年上女房。でも若くして亡くなる)
彰子(たった12歳で父親の出世のために嫁がされた少女。この時天皇は定子にゾッコン。見向きもされず)

(この波乱万丈物語、あぁ、もっと詳しく語りたい。二人とも心美しき女性!)


二つ目は、そのそれぞれの后(定子と彰子)に仕えた(今で言うカテキョみたいな?后の価値を高めるために働いていた)
清少納言(ちっちゃい事は気にしなーい!超ポジティブ女子)
紫式部(他人の目が気になりすぎる被害妄想が止まらない こじらせ女子)

(この真逆の人柄もスゴク語りたい!)


三つ目は、その清少納言と紫式部が執筆した書物
枕草子(天真爛漫。あっけらかんと毒吐きまくり)
紫式部日記(清少納言にケチ付ける。ネガティブワードオンパレード)

前編はこの中の清少納言と清少納言が執筆した『枕草子』に焦点を当てます






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『枕草子』

清少納言が執筆した『枕草子』は定子に仕えていた時代に書いたもの。
中学校で暗記させられる『春はあけぼの〜』から始まるあまりにも有名なアレです。
ただ、枕草子はそこだけではありません。
約300編の章段から成り立つ日記段、類聚段、随想段に分けられた、、
あぁ、ややこしい話は割愛しましょう

つまりこの随筆(エッセイ)とも呼べる本の内容は
いつの時代も存在する共感あるある祭りの作品なんです!


まさか、当の本人たち、千年経っても読み継がれる、ましてや学校で教材として扱われるなんて夢にも思わないから、サラ女の給湯室のごとく、思うがままつらつらと本音ぶちまけています。



(枕草子一部紹介)

めったにないもシリーズ
・姑に可愛がられる嫁
・舅に褒められる婿
・主人の悪口を言わない使用人
・パーフェクトな顔立ち
・男女の仲が最後までうまくいくこと
・女同士の仲もね

ただ過ぎて行ってしまうもの
・春、夏、秋、冬
・年齢

心がときめくもの
・ばっちりメイクをキメて香水ふったとき
・彼を待っているときのちょっとした物音

これあるよねシリーズ
・説教はイケメンから聞く方が頭に入ってくる
・人事異動発表の前に情報を得たい

憎たらしいもの
・急いでいるときに限って世間話をしにくる上司
・部屋から出ていくときドアをちゃん閉めないやつ
・嫌なやつが訪ねてきたから寝たふりしてるのに慌てて起こしに来る同僚

あまりイケてない男シリーズ
・カッコつけて長烏帽子をかぶってくるが欄間に帽子をぶつける男
・元カノを誉めるやつ


これほんの一部。
ここには書けないことも多々。

千年前の話だけど めちゃくちゃ共感できすぎて笑える!
(注:意訳は大目に見てね。汗)

私たち(KAGUNIWAメンバー)、平安女子たちと一緒に語れます。
定子サロンの女子会に参加します。
なんなら、カヌレ?新食感グミ?トゥンカロン?令和インスタ映えスイーツ持参で参ります。



そんな冴えわたるポジティブ女子、清少納言はチーママの如くサロンの切り盛りをし、定子の明るい性格と美しい出で立ちもあり、定子サロンは上流貴族(セレブ男性)もついつい来てしまうたまり場。
常に華やかで、知的で、(時には合コンまがいな…)盛り上がるサロン。


しかし、楽しい時間は終わってしまうのです。
政権争いに敗北した定子一家は、あれよあれよと離散。

定子の立場も危うい。

それでも天皇に愛され続けた定子。
三人目のお子を授かるが、出産後に若くしてこの世を去ります。



そして定子崩御とともに清少納言も宮廷を去ります。




清少納言は決して、このあたりの悲愴な出来事は記していません。
華やかなサロンでの出来事や楽しかった日々のみを書いています。



なぜでしょう?


そこはもう私たちの想像の世界です。




良いも悪いも
自分に正直に生きた清少納言。


どんな世だろうと、楽しむことは楽しむ。イイものはイイ!


自分は頭がいいんだもん、っと言っちゃうとこ、
勝気なとこ、縮れっ毛にコンプレックスをもっているとこ、
定子の美しさに惚れ惚れしちゃうとこ、
日々に一喜一憂しながらも、人生そのもを楽しんじゃうとこ、

全てが人間らしくて魅力的です。








この時代にTwitterがあったなら間違いなくフォロワー数トップクラスだったに違いない!
(叩かれることも多そうだけど。だからこの時代で良かったのね。じゃなかったらこんな面白いもの残せなかった)


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『50代。人生って、あぁ いとをかし。』


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追伸:最後にもう一度念押しさせてください。
   この意訳は私なりの読解に基づき書いてあります。誇張ありです。汗
   この時代に少しでも興味をもたれましたら是非、本物の現代語訳された本を手に取ってみてください。とても面白いですよ!
   
   後編は紫式部にせまります☆



相関図
『若さは美しい。 でも、50歳の美しさよりは退屈なはず。』

このコトバと出会ったとき、脳が震えた。
(そして3度ほど読み返した!)

そして当時の私は、打ちのめされた。

50歳、、無敵! と。


言葉の主は分からない。
でも、このセリフが言える人って…
たぶん、すごい人!
いろんな意味で凄い人。


また、晩年のオードリー・ヘップバーンは
「確かに私の顔にシワも増えました。ただ、それは私が多くの愛を知ったということなのです。だから、私は今の私の顔の方が好きです」

アヌーク・エーメは
「人の本当の美しさは、その人が年をとってきて初めて感じられるものです」

と。

澄み渡る美しさをたたえた瞳で仰るこの言葉たちに
なんだか年を重ねるのは、スペシャルな事と思えてくる。


この年齢までのたゆまぬ生き方が窺い知れる
『真の美しさ』を持つ方の言葉に ただただ圧倒。


ラナンキュラス


そして今、私はその無敵の50歳となった。


その年齢に達した自身の50は…

なかなかのものである。


まず、今まで着ていた服たちが、なんとなく似合わなくなってくる。

全身鏡に映し出された己を
(現実を受け入れられず)気のせいではないかと、しばし眺めてみる。

そうね。
どうやら気のせいではなさそう。(確信)


ネイル、リップ、アイカラー
従来のカラーに違和感をおぼえ、

アンニュイ気取ってみても
疲労困憊のおばさんにしか見えず、


仕事では、聞きなれないビジネス用語との格闘
「アサップ」「オンスケ」「サマリー」、、、
頭は追いつかず、Googleさまに感謝する日々。

プライベートでは、「あれ」「それ」「これ」、
代名詞だけでなんとか成立させようとする会話。


この現象の理由はただ一つ


老いだ!!



なんてこった。


わたしの50代は成熟されたオトナの女性というよりは、ただの老いとの対峙だった。


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それは生きていれば、ごくごく自然の流れだけど、年をとると、気力だの体力だの美貌(そもそも問題!笑)だの、そういったものは確実に失っていく。

正直、まだびっくりするほどの体力低下の実感はないけど、(老いが原因かは分からないけど)なんだか体をよくぶつけるようにはなったし、そのぶつけて出来たアザはいつまでも残っているし、そのうち身に覚えのないアザまでできているし・・・・つまり何かに徐々に浸食されている感はある。

しかし、青アザぐらいでは生活に支障をきたすわけではないので、特に気にはならないが、
それよりも今一番深刻な悩みは『老眼』という悲しい現象。

これはちょっと厄介である。

いや、かなり厄介である。

老眼がこんなに不便なものだとは分かっていなかった。
老眼をなめてました。

老眼と共に、なぜか近眼も進む。(私だけ?)

もう、近くも遠くも見えやしない。
見えないって、ストレス。 ストレスマックス状態。


裸眼では
賞味期限が確認できない。
説明書が読めない。
カメラのピントが合っているかが分からない。
市販薬のラベルも読めない。

わたしゃ一体何錠飲むんだい?

気合で見えるのではないかと凝視してみたり
ラベルを近づけたり遠ざけたりしてみるが、、、ピントなんて永遠に合うはずもなく。

この文字たちが普通に見えていたあの頃の自分はもう異次元の世界の人。


仕事をしていても、夕方になると『5』『6』『8』の判別がつかなくなる。

困ったものだ。

人生50年時代から、100年時代と寿命は延びたが、視力の衰えは不変。

世が世なら、
きっと今頃 隠居生活でお昼寝中。
そこに必要以上の視力なんて要るはずもなく。


眉間のシワが日々深くなっていく現実。

悲しきかな、老眼の嘆き。


視力の衰えも100年時代仕様へ進化を願う。
そしたら、もう少し心穏やかに仕事を続けられる気がします。。。

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でも体型の変化は10代〜50代、常に変わり続けているから、そういうものだと比較的受け入れられる。
どの時代が良かった、とかではなく、どの時代もその容姿と生きていく、という思い。

ただ 若さや容姿だけではなく、もしその年代特有の『オーラ』というものがあるならば、それが放てる人でありたいと願う。

その年代だからこそ放てるオーラを。



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しかし50歳。
失ってばかりでもない。

得たモノというか、良い変化も多分にある。

感性や感受性の変化というものでしょうか。


必要以上の欲が要らなくなったこと、
物事をシンプルに考えられるようになったこと、
自分と異なる価値観や欠点を受け入れる容量が増えたこと、
自分のヘタレを愛嬌と思えるようにもなったりと。

あと、答えや結果を気長に待てるようにもなった。

いろんな事を受け入れられるようになった分、
自分の受け皿は広くなったのではないだろうか?


それから、いろんな事に気付けるようにもなったかもしれない。

誰かの小さな勇気、
誰かが、誰かのために起こす心優しい行動、
誰かの笑顔が、無条件に誰かを笑顔にする幸せの連鎖のこと。


雨上がりの空。

『元気してる?』の便り。

秋風にのってくるキンモクセイの香り。


自分を取り巻く世界が優しさと美しさで溢れていること。


一日の終わりを平穏な心で迎えられることが
どれだけ幸せなのかを。



年をとるって何かを失っていくだけではない。
逆に失って楽になることもあるかもしれない。
今の自分に必要なものだけが残っていく。



いろんなこだわりがなくなった分、
肩の力を抜いて生きられるようになったのかも。



あとは目じりのシワを愛おしく、そして老眼と闘う自分を滑稽だと笑えるようになったらこっちのもん!

上手くいかない事も多いけど
この50代、
そんなに悪くはないかも。

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フランスの女優、カトリーヌ・ドヌーヴが
『年を取ることに恐れはないわ』と言った

このセリフ、わたしが80歳になったら
ドヤ顔で言ってみたい。


ひ孫あたりにボケたって思われるかしら?



以上、本日は失ったモノ、得たモノを考えてみました。


『50代。80歳の目標を立てる。』


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『北欧ヴィンテージ食器』



北欧、魅せられ女子です。
(ここは、あくまでも女子と言わせていただきます笑)


北欧家具、北欧インテリア、いろいろありますが
私はその中でも北欧ヴィンテージ食器に魅せられています。
( ´艸`)


GUSTAVSBERG


愛くるしい絵柄に、
ぽてっ としたカタチ。
そして こっくりとした艶のある温かい色味。



見ていると どこか懐かしく心がほっこりしてくる。


うむっ?
この『懐かしい』という感覚はどこから?

しばし考えてみる...


あれは1970年代。
まだ幼い自分が見ていたキッチンの光景。

遠い昔の記憶を呼び起こす。。。


そう!
あれは昭和レトロの世界が広がっていた時代。


オレンジ色したお花柄のグラスやお鍋、
琥珀色のガラス器。
ミルクコーヒー色のカップ&ソーサーに画かれたお城の絵たち。
母の愛した食器たちが並べられた水屋。

もしかして、北欧ヴィンテージ食器は、
あの美しく懐かしくエモい昭和食器たちと通ずるものでもあるのでしょうか?


(余談:昭和レトロ好きの方へ。映画『ノルウェイの森』の(内容はさておき)映像がとても美しく、昭和のインテリアが萌えます。レトロ好きな方にはおススメです!)



ARABIA Otso / / / / / / / / /


北欧の人々は、モノは使い捨てではなく受け継ぐものだという意識があります。
とても美しい文化です。
その想いが、こうやって何十年経っても愛され続けるモノを生み出せている所以ではないのでしょうか?


Jens.H.Quistgaard relief


しかし、ヴィンテージ食器、お値段はお高め!
簡単には手は出せない。

お目当ての食器と出会った時は、見つけた嬉しさはあるが、買うか買うまいか(買えるか!?)毎回苦悩。

懐に一応相談します。
お財布はん、だいたい答えは『No』というてはります。

それをだいたい無視します。(笑)
だって、運命の出会いですもの!←心の中の言い訳。


...欲求を抑える術がいまのとこ見つかりません



北欧ヴィンテージ食器と和食器


出会えた喜びと、少しづつ招き入れる楽しみ。
手持ちの食器と合わせてもいい感じです。

和食にもしっくりくる〜
(北欧ヴィンテージ食器に限らず、日本作家さんのものも好きで いつかそれも紹介したい!)



Arabiaアラビア ルイージャ ruija


子供が小さい頃は、軽くて丈夫なメラニン食器を使っていました。
投げても落としても動じず対応でき、かつ 食事の時間が楽しくなる食器。
『OMM-design』
『くまのがっこう』『リサ&ガスパール』
『kata kata』
それは今でも好きな絵柄ではありますが、そこは卒業です。
小さなお子のいる家庭へお引越しをしました。

今は自分の調理欲(食欲!?)を掻き立ててくれる器が多いです。
素敵な器に出会うと、
このボウルには"豆苗と春雨スープ"
このおプレートには"クロックムッシュ" このカップには"レモンスカッシュ"!
盛ってみたいメニューが次から次へと湧いてきます。


高いけど手に入れた食器たち。
…わたし、スピード勝負のお茶碗洗いから、すごく丁寧なお茶碗洗い屋になりました!
(そういえば、、食器洗いだけでなく、家事全般を丁寧にこなしている気がします。
若い時より、心に余裕ができてきたのでしょうか?)



Jens H.Quistgaard Azur / / / / / / / / /


食器だけでなく、購入に悩んで手に入れたモノは、一つ一つ深く思い入れがあります。

50年間生きてきた中で数回経験しましたが、そのモノたちは今でも私の愛用品です。

20歳、クロスデザインのダイアモンドネックレス。
     (初・鑑定書付き!)
30歳、グッチの腕時計。
    (並木通りデビュー)
40歳、カメラの超望遠高倍率ズームレンズ。
    (これはホント、相当悩んだ!)
50歳、、、まだ購入はしていないけど、、ガーデンファニチャーが欲しい
(回し者じゃないけど、、回し者? いやいや、本当に欲しいのです!モノも決めています(笑))


愛用品そのものの価値もそうですが、その当時の状況や情景、手にした時の高揚感、あの頃を生きていた自分。
思いを馳せると、鮮明に蘇ります。

その思い出は 私にとって『幸せの記憶』です。


そして、その物たちを 次の誰かに受け継いでもらえたら.....
それはとても特別なことなのかもしれない。


北欧ヴィンテージ食器


休日の午後。
パンが焼きあがる時間に合わせ
食器棚に並べられたカップを眺め 今の気分でカップを選ぶ。



いつもより時間をかけて作ったコーヒーを注ぐと
淹れたてのアロマな香りが部屋中に。


コーヒーカップを包み込むように手に取ると
温かみのある色合いと 重量感がちょうどいい。

そして何よりかわいすぎる!(卒倒〜)


このハッピー感はなんだろう?
ただコーヒーを飲んでいるだけなのに、こんなに幸せ感を味わえるなんて お得感しかない!




窓を開けると
新緑の間を吹いてくる快い風。

コーヒーを飲みながら

「良い休日だった〜」としみじみ。
(*´ー`*)



Margrethe Dybdahl / / / / / / / / /


本日は私の大好きな北欧ヴィンテージ食器のお話でした。



『50代。生まれ年が『レトロ』だの『ヴィンテージ』と呼ばれるようになる。』


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『緑と暮らす』




こんな職業だし、そもそも草花好きだし、
緑に囲まれて生きていきたいとか普段から言っているし…
フローリスト(園芸愛好家)気取っているけど、、、


わたし、枯らし屋です。


お庭の草花たちとは そこそこ うまく付き合えてますが、
観葉植物(室内用)とはちょっとよろしくない。



観葉植物、そんなに手をかけなくてもスクスク育つものと、何をどう頑張っても枯れてしまうものがある。

全身でうなだれ 水切れアピールする子。
「わたし顔色悪いでしょ?」一目でなにかがおかしいと分かる子。
そんな葉っぱたちもいれば
一方で、ある日突然 激枯れする子がいます。

慌てて、ネットであれこれ調べ蘇生をはかるのだが命尽きてしまう。 

本当にごめんね。。


そんな後悔も少なくない数十年を経て、

長年のモヤモヤを解消するべく
わたし、観葉植物と通じ合える仲になります!』宣言をここに致します!



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子供に手がかからなくなった分、グリーンたちと向き合ってみる。

なんでもかんでも葉水をして日光浴させて栄養剤をあげていれば育つってものではない!私よ。

これからは、なんとなくで育てない。

我が家に招き入れた植物ぐらいは、ちゃんと特性を把握する。


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まず購入する時は、タグの説明書きだけを頼りにするのではなく、店員さんに育て方を直接尋ねてみる。
(これ絶対大事!)
店員さん、親切に的確にポイントを教えてくれます。
できればお気に入りの園芸屋さんを見つけて常連さんになれるといいですよね。

あと、枯らし屋なりに学んできたこと(初心者編) 
ご参考までに。

?.自分がお世話できる分だけ自宅に招き入れる
?.置き場所は、自分がよく過ごす部屋、手の届く場所、目に付きやすい所へ。
?.とにかく寒さに気を付ける。寒がりの自分と同じ感覚で。



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観葉植物を育てるのはインテリアとしての役割だけでなく、様々な恩恵があります。

リラックス効果や疲れ目回復、空気清浄であったり、調湿効果であったり。
精神疲労の回復にもとても良い。


仕事の合間や 家事の合間に、数分でいいから植物や自然を感じられるところに身を置いたり、眺めたりする。
すると体の中では小さな回復が起こる。
小さな回復なのであまり実感はないけど、その積み重ねは大事。
ストレスからの回復。
またはストレスをためないための行動。


そしてストレスを回復する方法の一つに『逃避』があります。
この逃避は『逃げる』ではなく『離れる』。
一時的にそのストレスの要因と物理的・心理的に離れる事です。


↓↓ こんな症状が出た方には是非。
◎仕事に終わりがみえない。(絶望)←心理状態
◎ダンナ(カレシ)の余計な一言にメンタルやられる。。(バカバカバカバカ)←心の中でしか言い返せない
◎ダイエットがんばっているのに体重増える現象
(why!?Σ(Д゚;/)/)←もう全てがイミフ

日常で起こる大小のストレス。
いつもは鉄のハートも今は繊細なガラス。
些細なことで心折れ、ネガティブモードな自分。
そんな心からSOSを受け取ったら、我慢せずにサッと離れるべし!

その行き先にがあると心にとっても良いのです。

そこで大きく深呼吸をしよう。



緑は優しく寄り添ってくれます。


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あと、観葉植物を我が家に招き入れる際は樹形も大事。(個人的にそう思う!)

見た目です。

同じ種類でも枝の曲がり具合や葉っぱの付き方が全然違う。
茎の太さや、新芽などの確認も必要ですが、専門的知識だけで探すのではなく、なんとなくで『これ、イイ!』っていう個性的な子を探してみてください。

愛着増します。






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自宅に招き入れたら
光や風をあて、虫を確認します。
そして今なにが欲しいのか気付けるようになるまでこまめに接する。
毎日接することで小さな変化が分かる。

日々育まれる小さな生命体は私のチカラを必要としている。
私は愛をもってお世話をし大事に育てる。

そして私も植物たちから元気をもらう。

疲れが抜けない朝でも
朝日を浴びた瑞々しい元気な葉っぱをみていると体にチカラがみなぎることがあります。

私を元気にしてくれる植物たち。
これを大事にできず、なにを大事にできる? 自分よ。


元気は生きるチカラだ。
これからも 一緒にもっと健康に暮らしていこう!




以上、本日は観葉植物と仲良く暮らそうというお話でした。




『50代。「元気があれば何でもできる」 猪木に賛同します。』



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『断捨離』



『断捨離』という言葉が一般的になったのは2009年に出版された やました氏の書籍からでしょうか。

モノがあふれる時代から出た、世相を反映した言葉だとつくづく感じる今日この頃。

不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想、『断捨離』。


そもそも断捨離は必要が否か?

これはもう自分の気持ち一つのような気がします。
このモノたちは 人生のお供に(物理的/精神的に)必要? 不要?



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私自身は 家中の引き出しの中身全てに何がしまわれているのか、把握しておきたい性分です。
なんせ 探し物をしている時間がイヤなのです。

万が一、目星を付けていた所にお目当てのモノがなかった時は、この世の終わりぐらいの気持ちになります。

なので私には整理整頓と共に断捨離が必要です。


が、しかし、それを阻む『溜め込みクセ』があります。
特に、思い出の品は名残惜しくて手放せません。
映画の半券など、これが いつどの場面で 私の未来にて出番があるのか謎なのですが、後生大事に思い出箱に収まっております。
(ちなみにワタクシの思い出箱は衣装ケース3個分ぐらいあります( ゚Д゚))

困ったものです。。


でも、そんな私にも 5年に一度ぐらいのペースで 断捨離モードに入る時があります。 

「部屋をスッキリさせよう!」 
頭の上で電球がピカッと点きます。←脳内イメージ
このお告げが届いたらチャンス到来、断捨離どきです。



そして、自分生誕50周年、今回もやってきました。

執着していたものたちと おさらばの日がやってきたのです。



注)ちなみに、気乗りしない時に行う断捨離は、まったく断捨離にならない!

例?
(写真やリーフレットなど旅先での思い出の品、子供にまつわる品々の場合)
箱から出して並べる→ 眺める→ 楽しかった思い出に浸り幸せ気分いっぱいになる→ こんなステキな品々、一生の宝物よ! と思う→ また綺麗にしまいこむ

例?
(洋服、バッグ、靴の場合)
クローゼットを開ける→ 不要そうなものを物色→ 並べる → しばし考える

「9号か、、もう着れないか?」.......悩む。
→「いや、がんばったら体型戻るかも!」←頑張れないから今がある(今なら冷静につっこめる)

「赤色って、、この歳でまだ着れる?」........悩む。
→「うん。私、まだ赤いけるかも!」←いやいやいや、いけないよ?(いくらでもつっこめる)

「これタグ付きだ・・」→「でも新品で手放すのはもったいないな〜」
「この靴、全然出番ないな・・」→「でもこれ高かったのよね〜」

・・・もう、ただの執着でしかない(*´Д`)

そして引っ張り出した品々は再びクローゼットへ。

「いつか着る日が来るかも」
思い続けて早5年。
固執したこの概念から脱却できない自分。

リサイクルへ回せば、よっぽど どなた様かが有意義に着てくれるのに。。。



なので断捨離する時は、脳も心もポジティブに、断捨離の必要性やメリットに心から賛同している時に行います。


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50歳の断捨離ですが、それはいつもと違う感じでした。
これまでは、いわゆる私個人のモノの選別が主だったのですが、今回は家全体を見回しています。

もう家には小さい子供はいません。
小さい子どころか 大きくなったお子たちは この家から巣立っていきました。


今の環境に合った暮らし。

今の自分にしっくりくる心地よい空間づくりを模索します。


しかし断捨離作業すると分かる自分の無駄遣い。
自分はインスピレーションでお買い物してはいけないタイプだと知る。


勿論、長く愛用している物も沢山あります。
そのモノたちを見ると、自分自身で悩みに悩んで(値がはったりするので)、そのモノと暮らす自分を想像したりしながら熟慮の末手に入れたものが多いです。

そのモノたちは大事に使っています。多分生きている限り愛用します(笑)


本当に気に入ったものには飽きがきません。
分身のような気さえします。
また、そんなモノに出会えるのはご縁です。
それは私にとって とても大きな喜びです。



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断捨離後は 心身がスッキリと身軽になった気がします。
お家自体もそう思っている感じがします。(笑)







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しかしそれでも手放す決心がつかない部類編

1.数百?数千?の文庫本。
比較的、時間に余裕があった時に読んでいた大好きな本たち。
忙しい日々から解放された時、再びページをめくる日が来ると思いとってある。
(分かっています。今や電子書籍の時代だということは…。あの小さな文字も裸眼じゃもうムリ。涙)

2.ブランドの紙袋・箱
これ、女性あるあるじゃないですか?


3.アクセサリー
愛着?過去の栄光?(笑) ハート型とか…つけないけど手放せない。


今後の課題ですね〜

人生まだ半ば。精神の鍛練は続きます。


(※ちなみに断捨離後もウチはモノが多いです苦笑/



以上、本日は断捨離のススメでした。


『50代。脂肪以外のモノがそぎ落とされていく。』



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『はじまりのごあいさつ。』


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2021年12月

ボックスウッドガーデンファニチャーHPはじまりました。
そして私は50代がはじまります。

私は、この「50」という数字がとても気に入っています。
人生のちょうど半分という感じがキリが良くて、分かりやすくて端数がないところがスキです。

なので、48歳ぐらいから、歳を尋ねられた時は
「50。」
と答えていました。

この流れであと5年くらいは
「50。」と答える予定です。(笑)

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そしてガーデンファニチャー(屋外用家具)も好きです。
日本ではまだ馴染が薄く『ガーデンファニチャー』と聞いてもピーンとこない方が多いと思います。

この知られざるガーデンファニチャーの魅力のお話をいっぱいしたいです☆


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私は幼児期から庭で過ごすことが多かったのに何故かガーデンファニチャーに辿り着くのに時間がかかりました。
やはり馴染がなさすぎたのかもしれません。
(というか、手身近なよく見かける外用家具に魅力を感じなかった、が正解!)

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今、自宅庭は、カチッというよりは自然な感じで植物が生えています。
この庭に合うファニチャーをよく想像します。

植物はハーブや宿根草が多いのでイングリッシュガーデンに近いかもですね。
低木はコデマリやオオデマリ。
中高木はアジサイ、オリーブ、ライラック、ミモザ、ユーカリ、レモン、ヤマボウシ、シマトネリコなどで、あとはつる性植物たちと、地被類たちが勢力争いをしています。
その他もろもろの植物がいて、自分でも雑草なのか植えたものなのか分からなくなることも多々(笑) 



「手入れ大変じゃない?」
とかよく聞かれます、、、、

「はい。めっちゃ大変です」(笑)


でも苦ではないです。
もっと増やしたいくらいなのですが、今の庭ではこれが定員ギリです。


なので、老後は見渡す限り草木がわさわさ生えている広いお庭に住むことを夢みる50歳です。

隠居生活が楽しみすぎます。


そんな50womanのコラムはじまりです。

ブログっぽいコラム?(笑)ぐらいの発信で、ガーデンファニチャーは勿論ですが、その他ジャンル問わずアラフィフの生活のお役立ち情報を書けたらいいなと思っております。
趣味の写真と共に見ていただけたら幸いです。

どうぞよろしくお願いします。



本日は、はじまりのご挨拶でした。


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『50代。おぼろげに老後を見る。』


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KAGUNIWA
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2021/11/26序言


『50代からの私らしい暮らし方』 

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50歳。人生の折り返し。

ママ業も主婦業もひと段落です。
仕事もプライベートも自分のペースで、コントロールしながらこなせるようになったからこそ、どの選択をするかは自分次第。


50歳は立派な大人(おばさん?)ですが、
いくつになっても、やっぱりキラキラを発見すると心躍るし、カワイイものには食いつきます。(笑)

あ、美味しいものにも食いつきます(笑)

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でも、自分にとって必要なもの、要らないものの選別は心に素直に、余計なモノは持たず、大好きなモノ、大切なモノたちに囲まれシンプルに心地よい暮らしを実現していきたいです。


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日々は慌ただしく、体調の変化も著しいですが、ちゃんと自分時間をつくって、自分の想いに丁寧に寄り添いながら心穏やかな時間を過ごすことで、これからも積み重ねる年月が好きになれるのではないかとも思います。


前半戦のがんばっていた自分も、ヘタレだった自分も、すべてひっくるめて大切な自分の過去。


遥か高く広がる空を眺めながら、お気に入りのファニチャーに身を置き、自分のこれからの人生に心を躍らせながら人生後半戦スタートです。


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50代だからできるコト。
50代だから悩むコト。
50代だから笑えるコト。


同世代といろんな思いを共有しながら、自分らしい生き方や楽しみ方、お庭や植物などの話を、ボックスウッド50女子たちから発信できたらと思っております。



どうぞ、よろしくお願いいたします。



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