JAPAN
いわずとしれた、日本サッカーの歴史が酸いも甘いも体感できる神聖な場所です。
入場すると、まずはJ1、J2、J3の全チーム紹介ブースや過去のJ年間最優秀選手の足型が!
のっけから子供達以上にお父さん大興奮です。 |
2011年J最優秀選手「レアンドロ・ドミンゲス」 レイソル史上最高と称された外国籍選手。 柏のKING無くしてレイソルの優勝はなかった! 元気にやってるだろうか… |
こちらはJ元年の最優秀選手「KING KAZU」 「えっ!カズ足小さいじゃん アタシと同じぐらいだホラ!」 と、我が家の「KING」が靴を脱ぐ。 ほんとだ… ほぼ一緒。 |
2002年日韓ワールドカップ、日本がW杯で初めて勝利を挙げたロシア戦。 当時のスターティングメンバーの円陣が再現! |
ワタクシも念願の代表入り。 バットマン宮本キャプテンの横で気合いを入れます。 ヒデ頼むぞぉ! |
これまで獲得したトロフィーもズラり! あれ?フェアプレー賞ばっかりな気が…ボソ。 |
こちらは2011女子ワールドカップで世界NO1の称号を手にした「なでしこJAPAN」の優勝カップ! 女子は強いなぁ。 女性にはかなわんだろうか。 そんな時もあるさ 人間だもの。 と、 カップに映る自分に言い聞かせてみる。 |
そしてこの日、最後に最高に感動した1枚。
94年アメリカW杯 最終予選 最終戦のイラク戦に使われた戦術ボード。 |
日本が2−1でリード、あと数秒、最後の1プレーを凌げば勝利という終了間際、
同点ゴールを入れられ、初のワールドカップ出場が幻に消えた、いわゆる「ドーハの悲劇」と呼ばれた試合。
そのロッカールームで試合前のミーティングで使われたこのボードから伝わってくるもの。
当時、オフト監督が書いたであろう USA 90 min の文字。
たしかにあの日、89分59秒というところまでアメリカへの扉は開いていた。
なのに、あの1秒に打ち砕かれた。
みんな泣いた。 TVの前で泣いた。 TVの中で解説の岡ちゃんも泣いていた。
人は泣いた分まで強くなれると 誰かが言っていた。
それから4年後。
最終予選の国立競技場、全試合に早朝から並び、声を枯らし、鼓舞し、怒号し、称賛し、罵倒し、一喜一憂を繰り返し、初のワールドカップ出場を掴み、気がつけば代表と共に遠くフランスの地まで足を運んだ熱かった20代の頃の自分を懐かしむ。
そう、こうやって日本代表は強くなってきたのだ。
あぁ、もうずいぶんと日本代表の試合には行ってないなぁ。
久々にタンスの奥にしまいこんである、日の丸ユニフォームに袖を通してみようかな。
いや、ちょっと待て! その前に勝手にリサイクルショップに売られていないか一抹の不安が…
悲劇は繰り返すと言いますからね。
なんでも油断や慢心はいけません。
仕事も恋も家庭もサッカーも
初心忘れるべからず ですね。
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